2009-07-04
【運命】
当時、ハーバード大学の願書には、親の財産と、アメリカの名家出身かどうかを書く欄があった。私は親は小作農で、小作地約二反(約600坪)を耕作としており、財産はゼロと書いた。
なんの変哲もない片田舎に、人口比からいったら不思議なほどに大物政治家や学者が誕生している。大正十三年に75歳の高齢で内閣総理大臣になった清浦奎吾の生家は、私の家から歩いて30分くらいのところにある。隣村だが、すぐ近くに参議院議長を務めた松野鶴平氏の生家もある。刑法学者、平野龍一元東大総長の父上は、鹿本の秀才三兄弟といわれた長男、初代熊本市長を務められた。そのこともあって、私が東大に赴任したとき、平野先生にごちそうになった。私が政治に興味を持つようになったのも、そんな土地柄と無縁ではない。
政治的な思惑は抜きにして、満州国は当時の日本人のロマンをかき立てたのだろう。狭い日本を出て、広大な中国大陸に渡る、いわゆる大陸浪人たちは少なくなかったのである。
ハーバード大学の博士論文は「ヘヴィー・ボンドペーパー」という300年ほどはもつ特殊な紙にタイプし、間違っても修正インクで消してはならない決まりになている。つまり、一字でも間違ったなら、すべて打ち直すのである。