[勝田吉太郎の言葉]

2009-1-13

【解放神学】

人間が人間らしく意味ある仕方で生き、そして死んでいくために、根源的な自由、精神の自由というものが不可欠だろうと思われる。そこで宗教の目的は――― あえて私の考えで言えば―――そういうもっとも深い意味で霊的な自由、それをキリスト教的に言えば罪からの自由と言うのであろうか。あるいは仏教的に言えば煩悩からの自由と言ってもよいと思うが、そのようなもっとも深い意味における霊的な自由を自覚させるところに、宗教の目的あるいは役割というものがあるのではないかと思うのである。解放の神学は、そういう意味でのもっとも深い自由、いわば形而上学的な自由の秘義を明らかにする代わりに、もっぱら外部的な機構や体制からの解放を声高に叫ぶ、という点に特徴があると思われる。しかしそういう解放の導く先は、結局のところ、新しい形態での奴隷のくびき―――聖パウロが訓戒を与えたような意味での奴隷のくびき―――に繋がれる結末ではなかろうか。そのように思われてならないのである。

 

2008-11-19

【思想の旅路】

"世論"とは万人の意見であって、しかもだれの意見でもない。"世論"はどの人間のもとにも、しかとは見出されないにもかかわらず、しかも圧倒的多数者の別名にほかならない。


現行憲法第一条のいう「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」という規定は、日本史の由緒正しい伝統に則したものだと言えるであろう。権力と権威とが分立していたのが長い日本史の特徴であり、そこには期せずして偉大な政治的英知が蔵されている。


遺伝生物学とそれに関連する分野の科学技術は、まさしく"神を演じる"性格のものとなっている。それはまた、"神不在"のヒューマニズムが辿りついた袋小路であり、陥穽というべきであろう。なぜといって、人間は"神の知識"を手にしたものの"神の心"は知らないままでいるからだ。

[ 勝田 吉太郎 ]