2008-12-02
【高橋是清随想録】
ほんとうの仕事をするには、まず虚栄の心を捨てることである。虚栄の心ほど怖るべきものはない。『すべての不幸は虚栄の心から生ずる』といっても過言ではない。
いつの世でも、家庭は、一切道徳の根源であって、家庭の有様は、直ちに社会道徳に反映するものである。健全なる国民をつくるのも家庭であれば、下劣なる人物の輩出するのも、ひとしく家庭である。
銀行、会社員は、学問は余り高くなくてもよろしい。学問のあることは結構だが、とかく学問に呑まれやすくなり、その上、気位ばかり高くなって、実地が迂遠になることを免れない。
私が、もし銀行なり会社なりの社員採用の試験委員であったなら、どんな人物を採るか。私は、学力などにはあまり重きを置かぬ。それよりも、常識の偏頗なく円満に発達したもの、人格の高く品性の高潔な人を、躊躇なく採用する。学問があっても、品性の下劣なものや、常識の程よく発達せぬものは、銀行、会社員としては、到底成功する資格がないといってよろしい。常識の円満に発達していることは、特に銀行員などに必要である。銀行員として欠いてはならぬ一切の美徳は、円満になる常識の中に備わっているからである。勤勉とか、努力とか、忠実とか、忍耐とか、その他一切の美徳は、常識の円満に発達した人には必ず付随している。怠けものや、不忠実な人、意志の弱い人などは、常識に欠けているところがあるのは言うまでもない。が、どんなに常識があっても、また、どんなに学才があっても、人格の低い、品性の卑しい人は駄目である。
元来、人間が、この世に生を享けた以上、自分のことは、自分で処分し始末すべきである。他人に依頼し、その助力を仰ぐのは、自己の死滅であると、私は信じている。
栄枯盛衰は、人生の常である。順境は、いつまでもつづくものではなく、逆境も、心の持ちよう一つで、これを転じて順境たらしめることも出来る。境遇の順境は、心の構え方一つで、どうにでも変化するものである。ただ困るのは、薄志弱行の徒輩だ。