[田中六助の言葉]

2009-08-24

【保守本流の直言】

人は中曽根康弘さんを旧改進党の出身ということで「保守傍流」と決めつける。が、政治の流れは人脈で規定されるものではない。むしろその政治手法、姿勢、そして立ち向かう課題によってこそ評価されるべきものなのである。


私は政治家として、誰を総理=総裁として推すかということは極めて重要な選択だと思っている。派閥が同じだから推すのではない。自分に有利になるから推すのでもない。日本が誰を必要としているか。時代がいかなる指導者を求めているか。その問いに対して、政治家はみずからの政治観を賭けて、答を出さなくてはならないのだ。


西ドイツの社会民主党が、ブラント党首をいただきながら、シュミットを首相としていたことなどが、総・総分離論の論拠として指摘されることがあるが、この場合においても、社会民主党は、シュミットを首相候補として党内外に明らかにして選挙を戦っていたのであり、政党を選択することによって首相を選択するという原則は、明確に守られていたのである。


一時の便宜的措置として総理・総裁を分離することは、文字通りの便宜主義であって、今日の瞬間に通用することはあっても、明日以降に通用するものではない。政治は、あくまでも大道に基づくべきであって、一時の便宜によって悔いを千載に残すようなことはすべきでないと考える。


歴史に「もしも……」という言葉はない。それは政治の世界も同様で、「あの時、こう決断していたら」とか、「本当はこうだったが」というのは、日々に決断を求められている政治家には禁句です。とは言うものの、迷いはつきもの。どんな英雄でも、どんな偉大な政治家でも時として逡巡し、狼狽することがある。国運を担い、全世界の重みを背負って迷わず、悩み抜かない政治家はいない。しかし、迷い、悩んだ末に決断し、行動しなければならないところに、シュトゥルム・ウント・ドランク、つまり疾風怒濤に立ち向かう政治家の真の姿があるのではないでしょうか。


右と左、上と下を足して二で割るような最大公約数的な政治手法、政治姿勢ではこれからの時代を乗り切っていけないのではないか。時と場合によってはコンセンサスができあがるのを待つのではなく、自ら信じるところに向かってコンセンサスを作りあげていくという決断力と行動力が、これからの総理=総裁には不可欠だろうと思います。


戦後日本の経営は、吉田さんの耕した畑に岸さんの安保改定、池田さんの所得倍増という二つの実がなって目鼻がついたわけですが、岸さんと池田さんは時に対立し、その理念と政治手法に違いはあったが、日本が進むべき道を選択する決断を迫られたときには、すべての情熱と誠意と洞察力を傾けて責任を背負った大政治家でした。


大義名分ということに関連して、一つ注意を喚起したいと思うことがあります。それは、われわれ政治に携わる人間は日本の政治がこの永田町という限られたスペースだけで自立して運動しているものではないこと、国際政治のはね返りをモロに受けるものであることを肝に銘じなければならない、ということです。ともすると見落としがちになりますが、国内政治の不可解な動きに外国勢力が乗じないとは限らない、ということです。


私は国際派ではありません。時に失言もします。しかし、国際派を自称しながら定見なく国際間を行き来することによってひきおこされる混乱や、振幅の大きい国際感覚で日本にとっては生命線ともいえる日米関係にきしみを生じさせてしまうことの危険は、よく分っているつもりです。それは国際派か否か、国際感覚があるかどうかの問題ではなく、保守本流の政治の基本姿勢の問題にほかならないと思うからです。


政権が交代することは、腐敗を少なくすると思っています。やはり腐敗というものは、永久政権があって一方で半永久的な野党があるという構図の中に出てくる。


自民党はいつか割れるかもわかりません。しかし割れたとしても、アメリカの共和党と民主党、昔の政友会と民主党というような、二大政党制に向かうことになれば、私どもの子や孫の時代になっても、日本というのは安泰であろうということが、私の動きの背景の大きなものになっているのです。


大岡越前守など、ただ裁判だけやっていたのではなくて実はあれほどの経済通はいないのです。


一党だけで常に政権をたらい回しするということは長続きしない。そういう意味で、一日も早く野党の人も政権に慣れるということ、政権の座に坐るということが必要で、それにはどうしたらいいかということです。


いま私が幹事長とか政調会長をやって、党の運営にたずさわっても、大平さんが生きていたら、大平さんに尋ねたら、どういうふうに言うだろうかなという思いがときどきするわけです。大平さんが亡いいま、そこから連想すると必ず田中角栄さんに私はぶつかるのです。


昔、吉田、鳩山争いのときに総理・総裁分離論が出て、そのときに私は四、五人の学者にその問題を聞いたことがある。矢部貞治先生とか、蝋山政道さんとか、いま生きているのは猪木正道さんだけですが、みな大体総理・総裁を分離すると、お家の乱れの元になるという。


「保守本流」とは何か、という命題を考えてみると、つまるところ、日本政治の運営に責任をもち、その自覚と能力がある政治家や集団のことをさすのだと思う。換言すれば「統治責任」ということである。もちろん保守本流については多様な定義が可能であり、たとえば、吉田学校の系譜を引くか否かを条件とすることがある。そしてこの方法は、必ずしも一般に首肯し難いものではない。しかしながら、戦後四十年になろうとする今日、先代の先代が誰か、というような詮索はもはや第二義的な問題と言うべきであろう。


英国では保守党のことをgoverning partyと呼ぶという。それは、現に政権を握っているときだけでなく、野に下っている際にも、governing partyというと、保守党のことを指すという。いかなる政党でも選挙の結果によっては野党になることがある。特に、二大政党制においては然りである。しかしながら、身は野にあっても統治責任を忘れることがない、それがイギリスの保守党の保守党たるゆえんなのであろう。


本流の政治のやりかたは、政権についているときもいないときも、決してアウトサイダーにはならないというところにあらわれる。批判だけの批判はしない、口当たりの良いことのみを言わない、スタンドプレーをしない、ということである。


田中元総理の「カゴに乗る人、かつぐ人、そのまたワラジを作る人」という言葉や、竹下さんの「汗は一人でかきましょう。手柄は人に譲りましょう」という言葉を聞くと、この人たちが保守本流というものを実感しているということが察せられる。これが「統治責任」を砕いて言った表現なのである。汗をかかないで、批判だけしていることは簡単である。理想を語ることは容易である。しかしそれでは、現実政治家とは言えない。批判のみで事足りるのは評論家の場合であって、あるいは野党の政治家の場合であって、政権政党の政治家は、今日を生活している人たちのことを忘れるわけにはいかない。それが現実政治家の責任というものなのである。


本流の政治家であるかどうかは、野党との連合ということにもリトマス試験紙がある。


保守本流の定義を、統治責任をもつ集団とするならば、戦前の政党は必ずしも本流とは言い難い。超然的な官僚制が確固とした力を持っていたのが、明治憲法体制であったし、軍部の台頭によって政党政治の時代は幕を閉じてしまった。軍国主義が勢いを得た時代に、政党はむしろ統治責任を全うできなかった過去を背負っているからである。


子供が成長すれば服のサイズは合わなくなる。少年には少年の服を、青年には青年の服を、身の丈に一番合った服を着せてやることが親の愛情である。同様に保守とは、古いものを墨守することではない、むしろ現実の変容にあわせて手段方法をかえていくことが必要なのである。


保守本流というのは、前にも述べた通り、批判よりも実行を考える、バラ色の夢をあたえるよりも痛みがあっても必要なことを言う、という手法である。そして、それは現実に生活をしている人々に対する責任をまず第一番に考えるところから始まる。ところが資産倍増論のある部分は、実際の政治のプロセスを抜きにして理念、理想だけを論じているように感じられる。


現在の日本がおかれた状況は、決して無理な輸出圧力で必要のないものを外国に押し売りしているわけではない。

[ 田中 六助 ]