2008-12-02
【法律における理窟と人情】
一人で号令をかけるにはラッパはたいへんちょうほうな楽器だが、皆で合奏するには不適当だといって、夫みずから進んでラッパを捨てて、ピアノにとりつく。妻に向かっては、だから君はヴァイオリンを弾けという。子供たちに向かっては、それぞれ好きな楽器をとらせる。そして、夫はラッパをやめてピアノに向かい、妻はヴァイオリンを手にし、子供たちはマンドリンやフリュートやその他いろいろなものをとりあげ、それぞれがそれぞれの能力に応じて、せいいっぱいに自分の楽器をかなでる。そこには、夫だけではかなで出せないたえなる調べが加わる。そこには、妻だけではかなで出せない力強いピアノの音が入ってくる。各自がそれぞれの天分と能力とに応じて違う楽器を手にしながら、しかも調和のとれた一大交響楽をかなで出す家庭もないではないでありましょう。そして、それこそほんとうに民主化された理想の家庭だ、と私は考えるものであります。
第二四条では、家庭生活について、国家が責任をもって積極的に保護してゆくことを明らかにし、同時に、そうした国家が責任をもって保護してゆく家庭生活の中に、男女の本質的平等と個人の尊厳、あるいは夫婦の平等の立場における協力という指導原理をはっきりうたうことにすべきである。これが私の主張であります。
新憲法の第二四条をみますと、これは、もっぱら自由権的基本権の保障にとどまっております。つまり、民法その他の法律において男女の不平等な取扱いをしない、あるいは個人の尊厳を傷つけるような法律はつくらない、といっているだけであります。家族生活は人類社会の向上発達の基礎であるから、国家が責任をもって積極的に維持してゆかねばならない、という積極的な態度はみられません。私は、それをはなはだしく物足りなく思うのであります。
日本人が、よそのうちの子供を預かって世話することは非常に困るといい、あるいは自分のうちの子供は人に預けたがらないという心の底には、子供を立派なものにするということを一つの型に入れることだと考える気持ちがありはしないでしょうか。自分の型に入れようとするときには、隣のうちの型と自分のうちの型とは違いましょう。だから、自分のうちの子供ならしつけはできるが、よそのうちの子供ならしつけはできない、という結果にもなります。
常識で考えた正しい結論も、「常識論」だといっては通らないのです。今日の社会はすべて規則による複雑な機構をもっている。常識的結論に法律的基礎づけをすることが、法律家の仕事なのです。
私が、民法について直接の指導を受けたのは、鳩山、穂積、末弘の三先生であります。三先生それぞれ特色があります。論理の精緻なことにおいては、鳩山先生が第一人者でありました。他の両先生は、この点においては、鳩山先生に及ばないと私は考えます。しかしながら、全人格を傾倒して正しい判断をやるという点においては、穂積、末弘両先生のほうが、鳩山先生を凌駕するものがある。そのうちでも、穂積先生は、人情というものを入れて判断することに、非常にすぐれた才をもっておられる。これに対し、末弘先生は、移りゆく社会事情を鋭く観察し、新しい理想を取り入れて判断の基準とすることにおいて、卓抜な才能をもっておられる。
単にその国の立法の歴史を見ただけではたりない。外国の似かよった法制も調べなければなりません。その解釈も聴かなければなりません。決して容易な仕事ではありません。いわんや、社会事象の全人格を傾倒した価値判断となりますと、それをするには、法律の勉強だけではたりない。一方では、他の社会科学も研究しなくてはならない。社会事象の底に流れる社会科学の法則も、自然科学の法則も、いちおうは理解しなければならないでしょう。しかも、他方では、哲学や倫理学によって価値判断の基礎を養わねばならないはずであります。
一つ一つの条文は、それぞれ形の違った石のように、積み上げられて並んでおります。一つ一つ形の異なった意味をもっておるように見えます。ですから、外から見ただけでは、どこにその真の意味があるのか、どこにどういう関連があるのか、なかなかわからない。それに論理のハンマーを加えて分析してゆく。そうすると、円いもの、三角のもの、まったく違ったように見えた石の間に、意外にも共通の原理が含まれていることがはっきりします。そうしたうえで、その共通の原理を、あるいはさらに分解し、あるいは総合して、論理的なシステムを築き上げてゆく。その際、特に大切なことは、一度出来上った論理的なシステムを固定的なものとは考えずに、新たな社会現象に遭遇するたびに、たえず吟味を重ね、検討を新たにしてゆく。そうしますと、この論理システムは、意外にも柔軟性のあるものとなる。
法律論でありうるためには、理窟の筋を通し、論理の枠を守り、しかもその筋にそうて、その枠の中で、人情と調和させることを努めなければならない。